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2001年度の生活最近の生活

2001-2002 怒濤の年末年始

18 January 2002

1. 2001年12月12日〜28日:雨林火山篇
2. 2001年12月29日〜2002年1月7日:疾風休養篇
3. 2002年1月7日〜1月14日:復活再生篇



雨林火山篇:2001年12月12日〜28日

2001年9月11日からほぼ3ヶ月.アメリカでおきた同時テロの影響をまともに受け,有無を言わさず関空に戻されたた男3人(Kさん,Sさん,私)のリベンジ.

結局,無事にハワイでの調査はできたわけです.2001年12月12日.いつの間にかアメリカン航空とコードシェア便になった以外は「あの時」とほぼ同じ時間に関空を離陸した.今回は敢えて前回とほぼ同じ服装で挑んだ.私は負けない.同じ研究員室のFさんから有難くいただいた「交通安全」のお守りがあるので大丈夫だろう(おかげで無事でした,感謝しています).前回同様,機長からのアナウンスが….過剰なまでに反応してしまったが,現在の高度や予定到着時間などであったのでほっとした.国内線を乗り継いで無事にハワイ島に到着した.今回は日付を越えた時差があり,その差5時間.日本の時間に5時間足して前の日に戻す(例えば日本が2日午前9時なら,プラス5時間して前日,つまり1日の午後2時となる).深夜便にも若干やられているのに加え,微妙な時間の時差にもお見舞いされているようであった.

さて,ハワイの森林であるが,フトモモ科のハワイフトモモ(Metrosideros polymorpha)が優占する林分が,標高の下から上まで続いている.それに若干数種加わる程度の種多様性である.今回の調査地はハワイ島の標高約1500 m 程の山地林である.キナバル山地林で同じ標高帯の調査だと種同定だけで頭を抱えそうになるが,今回は両手に収まる程度の種数であった.だからといって毎木調査が楽だったかというと,そうではなかった.なんと林床はタカワラビ(Cibotium属)という木生シダが優占している.このシダ,茎の部分だけでも私よりも高く,葉の部分まで入れると3 m ほどにもなるのだろうか.プロット測量をするときにコンパスの先が見えず,これには苦労させられた.それでも木生シダが林床一面に広がっているさまは圧巻で,これだけでも見る価値はあるだろう.
ハワイ島が火山由来であり,森林も幾度となく溶岩流によって破壊され,再生して生きている.私がこれまで見てきた火山から再生した森林は,火山灰によって森林総てが埋没し,そこから植生遷移がスタートする全壊タイプの森林であった.ハワイの森林はそうではなく,どろどろとした溶岩が流れ,その溶岩上から植生遷移がスタートするタイプの森林である.溶岩の上の割れ目などからハワイフトモモが生えてきているのを見ていると,生き物のたくましさに驚嘆する.現在も活動しているキラウエア周辺では,そのダイナミックな営みを目にすることができて非常に感動した.
調査はハワイ島標高1500m 条件下の降雨林で,異なる溶岩年代を環境傾度にとった設定でプロットをとってきた.溶岩年代によって林分の構造,特に樹冠構造の変化が顕著で面白かった.詳細は今後の研究成果ということで.

ハワイ=常夏という世間一般のイメージがあるだろうが,さすがに標高1500mもあると朝晩はフリース着用,シュラフカバーも必要であった.滞在していたのはハワイ島のヒロの方(正確にはキラウエア火山付近の火山国立公園付近の村)で,ハワイ諸島の中でも雨が多いところでも有名である.コーヒーで有名なコナの方は,逆に乾燥している.これは地形的な条件のためである.最初の一週間はじとじとした雨がずっと続いていたが,クリスマス近くになると,これまでが嘘のように晴天が続いた.ハワイの方ではこれをある種のクリスマス・プレゼントというような表現をするようである.たしかに久々嬉しいクリスマス・プレゼントであった.
今回,実は初アメリカであった.今までメートル法の国にしか行ったことがなかったので,単位には苦労した.スピードはマイル,高さはフィート,長さはインチなどなど.

まあ,無事に調査を終えて何事もなく帰ってこれた.アメリカ国内の航空保安状態は今も厳重なレベルにあるようだ.しかも帰国数日前に靴の下に仕込んだプラスティック爆弾による自爆テロやらが発覚した角で,セキュリティ検査では靴まで脱がされた.要所要所に機関銃を手にした兵士が睨みを利かせている.荷物検査は勿論厳重で,ザックの中身を散々問いただされた.あまりに汚れていたので帰ってから洗おうと思っていた洗濯物を問いただされた.間違いなく臭いので厳重に袋詰めしたのが怪しかったようだ.「洗濯物です」.この先起こるであろう悲劇を予想して係員に言ったのだが,「開けて下さい」と譲る気配はないよう.渋々開けると,係員の人(しかも女性)はそれを手に取ってしまった."Oops!" 荷物検査はそこで終了した.
それでも機内に入ればのんびりとしたものであった.機内の映画を観ていた.最近は飛行機に乗るやいなや気絶することが多い(酷いときは taxiing の途中で気絶した)ので,映画まで起きていたのは久しぶりのことである.
18時ころに関西空港を出発したのだが,野外調査という極めて規則正しい朝方の生活が完全に身に付いていた.日本時間の18時は,ハワイ時間前日の23時になる.普段なら確実に寝ている時間である.日付を越えた5時間の時差が効いてきた.それからしばらくは朝方早く目が覚める日が続いた.二週間ぶりの日本は,心なしか冬が深まっていたような感じであった.



疾風休養篇:2001年12月29日〜2002年1月7日

ハワイでの調査を無事?終え,アパートでどろどろの勝負服 作業ズボンを洗濯している時に突然電話が….

電話はセンターで同室のGさんからであった.「明日まで長浜ビールがなんと100円です.行きましょう!」Gさんからの電話に私は即答えた「Oui!」.
長浜ビールは所謂地ビールである.ビールの質も然ることながら,レストランの食事もハラショーらしい.石山から長浜行きの新快速で一時間ほど.新快速が停まる石山は何かと便利だ.長浜は古風な街である.こういう街にはこういうビールが似合うのだろう.閉店近くまで,研究員部屋の皆さんとぎりぎりの「忘年会」を堪能した.

さて,翌日の15時.私はまたまた「はるか」に乗っていた.つい二日ほど「はるか」に乗って帰ってきたばかりである.しかし,今度は帰省の為の移動である.さっさと搭乗手続きを済まして,お土産などを買っていたころ,不吉な放送が関空に流れていた.なんと私の行き先が現在吹雪のため,天候調査をしているようだ.最悪,引き返す可能性がある旨を連呼している.「またかい…」.とりあえず離陸はした.機内で例によって機長からのアナウンスがあった.まだ過剰に反応していたが,どうやら着陸できる程度になったので,予定通り着陸する旨の放送.とりあえずほっとするが,油断はできまい.やがて,着陸状態になったがなかなか着陸しない.何気なく外を見ると,素人目には着陸するには絶望的としか思えない吹雪が舞っていた.私は着陸できるよう,本当に祈っていた.その甲斐あってか,予定より30分遅れて到着.遅れても着けばよいのだ.この先の移動も怪しくなると睨んでいたが,案の定,途中で一時間ほど動かなくなってしまった.とにかく家に着けばよいのだ.なんやかんやで家には予定より二時間遅れで到着した.まったく油断できない.



復活再生篇:2002年1月7日〜1月14日

充実した休暇の後に待ちかまえていたものは….

今まで使ってきた愛用品の数々の不調とその修復作業だった.

昨年8月に購入した眼鏡がいつの間にか壊れていた.大津にもどる前日に気付いたのだが,鼻にあたる支えの部分が一個ない.どういうことだ.京都は四条の眼鏡屋で作ったので早速行くと,なんとその店は無くなっていて違う眼鏡屋になっていた.恐る恐る新しい店員に事情を説明すると,前の店のサービスは引き継ぐとのことである.しかし,修理不能を言い渡された.レンズだけを活かして他のフレームに着けてくれ,と頼んだのだが,あえなくreject.もう嫌になったのでそこではもう止め,石山商店街の眼鏡屋に同じ注文をだした.修理は不可能だが,レンズを活かすことは可能だそうだ.今は前モノとほとんど変わらないフレームの眼鏡をしている.皆さん,目は大切に.

眼鏡が壊れ,少し気が滅入ってきた.今度はカメラ,しかも十年以上使用してきたメインの一眼レフである.使用しているのは Canon EOS650.EOS の第一世代で,しかも一番最初の機体である.現在修理に出しているが,見通しは暗いと言われ気落ちしていた.先程,修理可能と分かり,ほっとしている.新しい機体に買い替えるのも手だが,直るものなら手に馴染んだ機体が良い.しかも長年愛用してきた機体だけに,簡単にあきらめたくなかった.早く戻ってくることを心待ちにしている.

新年早々モノの修理に翻弄されて一週間が終わった気がする.自分が心身ともに壊れていないだけマシだった(先週修理済みということか).さて突然だが,今回の年末年始に決めたことがある.2002年からは素の清野達之で行きます.皆さん,そういうことで今年もよろしくお願いいたします.


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